



アートを手掛かりに
『どなたでもが、ご自身の心地良い距離感を保ちつつ、
与え与えられ、お互いを認め合って 共に在れる場』
づくりに取り組んでいます。
現在、宝塚と神戸で、
作品展示、ワークショップ、お絵描き会
を開催しています。
人づきあいは苦手でも、
アート(人のなせる業)を愛してやまないのです。



ごあいさつ
発 起 の 経 緯

もう長い年月が流れました。
阪神淡路大震災の2年後、やっと再建出来た我が家に亡骸となって帰宅した妹。自然と芸術を愛し環境問題に取り組んで積極的に活動していた妹。急な病に倒れた妹を、自律神経失調症で社会生活不能となりブラブラしているしかなかった私には救う術がありませんでした。悲観に暮れる私の心に灯をともしてくれたのは、「絵を描くこと で世間と繋がっていきたいから僕を見守っていて欲しい。他の人といると心がザワザワしてしんどくなるけど、さみちゃんといると心が凪いでほっとするんだ」と不思議な申し出をしてきてくれた出会ったばかりの統合失調症の男の子でした。「私が面倒を見たいのは女の子やで。妹や」と思いながらもズルズルと彼のペースに巻き込まれていき、1年もしないうちに、それまでは何の興味も持っていなかったアートに触れることで心癒されるようになりました。彼のきめ細やかな感受性が私に沁みこんできたのです。アートは人のなせる業、人肌の温もりある精神を持 ちますが果実の作品自体は無機質です。この絶妙の静けさは疲れた心に快いものでした。
その後、健康療法の会にお世話になったりと、意図しない好機に恵まれ、気が付けば、私は小さな事業所の事務員として社会復帰をしていました。けれども症状が進み、心を閉じていく一方の彼には結局、何も貢献出来ずに終わり、彼と付き合いを絶った年に最愛の母が急逝。気丈にも一家を支えてくれていた母を失い、私は統合失調症で家から出ない父親と二人暮らしとなりました。母は父の病状を世間から隠して面倒を見ていたので、それまでは私も見て見ぬふりをしていましたが、自身の体調が不安定で母のようには出来ないことと、症状を認めてこそ人権は 守られると思い、父の精神障がい者認定を受けました。それから8年、父は、人と接することは疲れると言って嫌いましたが、私だけが鑑賞者の書付を社会に発信していると信じて、文章を書くことだけを日課に穏やかに暮らし、永眠致しました。
皆が互いのありのままを認め合い、どのような方でも心安らかに、心豊かに、共に在れる場をつくることに、残された人生を捧げています。当会は、このような私の思いを良しとしてくださる心優しい方々で溢れています。
皆様の温かいご支援をお待ち申し上げております。
そしてよろしければ、私どもの活動現場に足をお運びください。
お会いできますことを心待ちにさせていただきます。
2025年2月28日
父の逝った2年前の良く晴れた冬の終わりの日のことを心に刻みつつ
山田 早弓


